那智駅~補陀洛山寺

先日のアンケートで多くのリクエストをいただきました『世界遺産・那智山』を、 数回に分けてレポートしたいと思います。

第一回目は、『那智駅~補陀洛山寺』です!それではスタート!


いかにも熊野那智大社を意識した感の漂う『那智駅』から出発しました。

那智駅

タクシー運転手の方の話によると、無人駅で特急はとまらないそうです。

しかし、すぐ隣には『那智駅交流センター』という休憩所やお土産・産直品売り場などがあり、充実しています。

しかも!『丹敷の湯』という温泉まであります。

駅にある温泉は全国的にも珍しいです!

世界遺産の『補陀洛山寺』は、国道を挟んですぐそばにあります。

補陀落山寺のクスノキ

大きなクスノキと鳥居が目印です。

このクスノキは立看板によると、推定樹齢800年!『浜の宮の大樟』というそうです。

で、お寺なのになぜ鳥居があるのかというと、「熊野権現」という観念が関係しています。

権現というのは、仏や菩薩が神に姿を変えて現れることをいうそうです。

那智を含む熊野三山に対する信仰はこの「神仏習合思想」を土台に形成されていったそうです。

ちょっと難しい話になってしまいました。

というわけで、このように神様が祀られています。

補陀落山寺にある熊野三所権現

この神社の正式名称は『熊野三所大神社』といいます。浜の宮王子社跡に建っています。

「王子」というのは王様の子息、ではなく、神社のようなものの呼び方です。

世界遺産・熊野古道沿いには「九十九王子」という全部で101の神社があります。

現在、王子跡のほとんどは石碑があるのみで、熊野古道歩きではチェックポイント的存在になっています。

で、この隣にあるのが、世界遺産にも指定されている『補陀洛山寺』です。

補陀落山寺

とても読みにくい漢字です。僕も3か月前までは読めませんでした。

**「ふだらくさんじ」**と読みます!

この本堂は1990年に再建されたものですが、歴史的価値のあるために世界遺産登録されています。

その歴史というのは、お寺の名前の由来となっている「補陀洛渡海」のことです。

「補陀洛渡海」とは簡単に言うと、渡海船に乗って海から補陀洛山を目指すことをいいます。

ちなみに渡海船というのがこちらです。

補陀落渡海船

このとても頑丈かつ崇高な見た目の渡海船で、補陀洛山を目指したそうなのですが、 一体その補陀洛山というのがどこにあるのかといいますと…

実世界には存在しないんです。

伝説上ではインド南方の海上にある山で、観音菩薩が住んでいるところとされているそうです。

そこを目指すということはつまり、捨身行です。究極の修行です。達観してます。

『補陀洛山寺』から渡海した人は、記録に残るだけでも25件もあるそうで、

この場所から近い、那智浜から渡海したそうです。

年配の観光客の方の中には、この『補陀洛山寺』を目的に旅行にこられている方もいるほど、歴史的に深い場所です。

最後にもうひとつ重要な史跡を紹介しておきます。

振分石

この見るからにふる~~い石なのですが、『振分石』と言うそうです。

これは、下に書いた3つの熊野古道がちょうど分岐する場所の目印となっていたそうです。

  • 大辺路(おおへち) - 田辺市から紀伊半島の西海岸を周って那智勝浦まで続く古道
  • 伊勢路(いせじ) - 伊勢神宮から那智勝浦まで続く古道
  • 中辺路(なかへち) - 田辺市から本宮・那智勝浦を通って新宮市まで続く古道

この機会にぜひ覚えてみてくださいね~これからのレポートにも出てくると思いますので!

ちなみに現在の『振分石』は1658年に建てられたものだそうです。とても古いです。

というわけで、『世界遺産・那智山』の第一回目のレポートは難しい話もありましたが以上です。

最後まで読んでいただきましてありがとうございました!

それではまた、第二回にご期待下さいね。